集スト被害 後遺症から生還への道のり ( #集団ストーカー #電磁波 被害 #熊本 )

気付かない被害('98)から 20数年。生活も身も心もズタズタになっていますが何とか生還しようとチョッとだけ前向きになろうとしていく様子を書いてみます。

集団ストーカーのからくり[1](地域型。私の場合)

前回の最後に集団ストーカーのシステムが 、どんなものか が、わかった と、書いたので、
私の場合(地域型)は、どうなっていったのか、
推測の域では ありますが、一応、歴史から 書いておきたいと 思います。
年号は、西暦です。

'93(H5)
●●党(←集スト関与疑惑が大きい政党)
が 与党入りしました。

'94(H6)
警察庁に 新たに
[生活安全局]が 設置されました 。
(防犯を 扱う ところ です。)
→この流れから この頃、同時期に
全国の県警本部に 生活安全部、
地域の警察署に 生活安全課が
できました。

'95(H7)
集団ストーカーが 始まった と
訴える被害者の数が 全国で
急増し始めました。

'95(H7)
全国の町内会で異変が 起きます。
●●党の支持母体である某教団の
信者さんが 、教団からの指導により、
全国一斉に
町内会役員(任期は約2年?)に名乗りを
上げて 就任されたらしいです。
(ネットの情報より)
その数は。。(ここは 私の予想ですが)
H7 年頃で 20数万は あったのでは ?
ないかと。 というのも、
この年(H7)の[防犯連絡所]の数、
40数万であった事、
また [防犯連絡所]のピーク時
(昭和63年頃)の数が
(=町内会役員の数とみて よい)70数万
であった事から、
この年までに[全国の 町内会役員の
約50%近くが 防犯連絡員に
ならなかった] 且つ、
[また その約50%=(疑惑視されている)
某教団信者の可能性が極めて高く、
某教団信者のみで 役員が構成される
町内会(=町内防犯パトロール隊(団体))も
相当増えた]と 思われるからです。

'96(H8)
全国の[市]に登録された防犯団体数が
この年から 非公表と なった。
それなのに、この年から、
市に 登録されたと
推測される防犯団体数は 激増し始める。

同年('95)~'00年(H12)頃
全国の市役所の中に [生活安全課]が
出来ました。(課の名前は、市ごとに
バラバラです。)

'98(H10 )
私への郵便物が 1ケ月以上
遅れてしか
届かなくなる。(←集ストの始まり)

'98(H10)
全国のテクノロジー被害者が
激増し始めます 。

'02(H14 )~'10(H22)頃
全国の県庁の中にも [生活安全課]の
業務を 扱う課が 出来ました。

ザッと した 流れです。
覚えて欲しいのは、市役所の生活安全課にも
県庁の生活安全課にも、
警察官(私服の警察官)が
出向職員として(県警からの派遣として)、
いるという事。←課長や 課長補佐として、
いるという事。
次回に 続けます。

(資料を 貼りたいのですが 、現在 妨害が
ひどく、貼れません。後日、試みます。)